Excite 社会ニュース : <いじめ自殺>文科相あてに予告手紙届くこの本には「学園祭を中止しなければ自殺する」と脅迫状を
学校におくった子どもの例を題材に論理を展開しているところがある。
大人の成熟した思考の見せ所である。
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『抑制ホルモンの投与も 先進地カナダ (子どもを守る 性犯罪から)』
http://www.asahi.com/special/children/TKY200603130230.html 2006年03月13日14時57分 asahi.com
どう考えてもタイトルつけ間違い。
記者は日本の性犯罪者にも、ホルモンを投与してみたいのか。
『排除しない取り組み 再犯者ゼロ 先進地カナダ』と、書くべき。
五七五にして『性犯罪 排除しないで 再犯なし』だともっといい響き。
性犯罪はもっとも再犯率が高い。
ハミルトン市の実践には12年間、再犯なし。
けさ通勤電車で芹沢俊介の『酒鬼薔薇聖斗論』を読んだ。
時事ネタは時差で読むと冷静に読めて面白い。
が、芹沢の聖斗論は事件からわずか3日後から論じ始めている。
彼の犯罪心理への共感力にびっくり。
フタを開けてみると映画『レッドドラゴン』並みのやり場のなさ。
大切なのは今後。
彼を監視・排除して、第2、第3の「酒鬼薔薇聖斗」を生み続けるか、
「排除せずにグループに取り込むことで、逆に地域を安全にする試み」
(asahi.com)をして再犯ゼロにしていくか。
「強姦という概念は、まず家族が心的に解体していない限り、生じない」(芹沢)。性犯罪者は孤独で絶望している。性犯罪者を排除でしか迎えられない人もまた孤独なのだと思う。異例の速さで死刑にされた宅間守と獄中結婚した人の気持ちは計り知れない。
一方、被害者は?
被害を受けた子どもは、学校へ行けなくなったりする。
過激な表現であえて言いたいのは、学校、学校権力がレイプを助長していやしないか、といういこと。
「いじめの根源は文部省だ」と言った友人がいたけどまったく一理ある。
「強姦の根源は学校だ」は、そんなに過激でもあるまい。
傷が癒されていくような知的な営みの場であったら学校へこそ通う。
執拗にセカンドレイプ、集団レイプをするような場には行くわけがない。
「いや、学校はレイプはしてない」と否定できたとしても、
「深い傷を負い、勉学を続けるのが著しく困難だと判断した」
という理由を否定できる学校は少ない。
傷ついた子どもを排除する学びってどんな学びだ。
喰ってくために歌う歌ってどんな歌だ。
人助けがしたい気持ちを満たすための人助けってどんな助けだ。
傷ついた子どもを排除して学ぶ知性ってどんな知性だ。
その場合、排除されずに学校に残っている子どもたちも、
実際には深い傷を負ってしまう。そのこを明確に言葉にしたのは、
『希望としての不登校・登校拒否』の高1のK.M.さんの手記。
考えてみると当たり前のことでもあるが、
被害者、加害者の生活圏、親密圏にいる人間も同じように傷つく。
酒鬼薔薇聖斗は駅でも自宅でもなく、学校の校門に首を置いた。
学校が第2第3の酒鬼薔薇聖斗を生み出す場所になり続けては困る。
学校は本当に被害者が救われる場になろうと、
加害者を生み出さない場にしようと本気で取り組んでいるか。
自身の持つシステムの「おかしさ」と向き合おうとしているか。
教育権力を使わないで学びの場を実現しようとしているのか。
この問いに「いやあ、うちは監視カメラ設置しましたから」、
「いやあ、うちにはとても厳しいベテラン生活指導の教員が居ますから」
「いやあ、うちにはそんな生徒はいませんから」
以外の回答で、以て受けて立つ学校がいくつ出てくるか楽しみ。
Excite News 毎日新聞 : <奈良民家全焼>放火・殺人で捜査 遺体に傷親も「先生」化して権力者になってしまったら、子どもはもう家出、暴力団(男子)、風俗(女子)くらいしか居場所がない。
「勉強をしない我が子に『大学はどうするの』と軽い調子で言った母親の言葉に、『それが悪い』といって怒り出し、それから殴る蹴るの家庭内暴力がはじまったという報告はいくらでもある。」(『両親殺害論・遺棄論』芹沢)
『<奈良民家全焼>放火・殺人で捜査 遺体に傷』
www.excite.co.jp/News/society/20060621
2006年06月21日 15時00分 毎日新聞
3人の顔などに刃物で切られた可能性のある傷があり、現場に油のにおいが残っていたことも判明。
Excite News : 放火殺人で高1長男逮捕 「成績、父親に言われた」
『東京湾に乳児の遺体 ごみ回収船にかかる』
www.asahi.com/special/children/TKY20060620
2006年06月20日02時27分 asahi.com
警視庁は遺体は海中に捨てられたとみて、死体遺棄容疑で調べている。月島署の調べでは、遺体は男児で、服は着ておらず、へその緒が付いた状態だった。
家庭が学校化した両親と、教育権力そのものの学校(神戸大学附属中学)によって追い詰められた12歳の少年は父を殺した(93年11月23日、森安九段殺人事件)。(『登校拒否論』芹沢)
13年経った今の神戸大附属中は相互監視の教育権力システムはもう廃止されたのか。
大人が暴力のシステムを巧妙に繰り返す限り、子どもに暴力は丁寧に伝達される。
私が小学校の頃には、
まだ「体罰を受けたら、ありがとうございます!って言え!」て
後ろ回し蹴りの恐ろしく上手な教員が居た。(私の担任)
その頃、あるいは今もかもしれないが、
履歴書の得意科目の欄に「体罰、回し蹴り」って書くと、
引く手あまたの採用があるんじゃないかしら。
皮肉が言えるのは傷があるからこそだろうか。
彼は今どんなふうに子ども達をサポートしているのだろう。
カポエイラの選手にでもなっているのだろうか。
「システムのなかの自分を疑わない人は恐い」(『体罰論』芹沢)
80年代の校内暴力は収まったのではなく、
より学校、子どもの心理の内部に取り込まれ、
より「よい子」が鬱血した暴力を生み出すようになってきた。
酒鬼薔薇聖斗が捕まった当時、
14歳の子ども達には「かっこいい」と共感する立場が少なくなかった。
私の暴力予測。「かっこいい」と言えたひとたちは大丈夫。
「かっこいい」と言えなかった「よい子」たちの鬱血が、
これからの酒鬼薔薇聖斗になっていく可能性の方が高い。
自分の行く学校には、リストカットする人は居て欲しくない、
頭が悪い生徒もいて欲しくない、家庭に問題がある人もいては困る、
自分より頭が良すぎる人も居て欲しくない、
自分みたいなそこそこなひとたちで満たされていて欲しい、
学校での問題は(もみ消してしまって)ない方がいい、
体罰はあっても、ごまをすってさえいれば自分は免れることができる。
そういう学校であって欲しい。
そう思って入学するとき、その子どもは酒鬼薔薇聖斗なのだと思う。
理想への固着は破滅への固着。
あるいは、そうやって排除の思想をどこかに持って入学試験、
定期テストを行っている学校。
そうした学校権力が酒鬼薔薇聖斗なのだと思う。
そう考えると、酒鬼薔薇聖斗は「始めのひとり」ではない。
我々みんなが年月をかけてつくった申し子ということになる。
教育権力システムが生み出した怪物。怪物は語弊かもしれない。
みんなで作り出した超エリート、模範生徒。時代の寵児。
金儲けを考えなければ、カナダのように安心・安全な街に、
気持ちよく暮らせたり、金儲けを考えなければ助け合ったりできる。
ただ(金儲けではなく)学べば、知恵も知性も、喜びそのものだ。
知性って、傷ついた人と一緒に学んでいく場のなかでこそ豊かになっていくものじゃんヽ(´ー`)ノ
みんながいるから面白い(おかあさんといっしょ♪あんな子、どんな子〜さよならマーチ)
冒頭の二者択一問題、
前者、「監視・排除」はお金が儲かる論理、
後者、「排除せずに地域が安全に」は、お金で買えない安心、安全、心が豊かになる喜びの論理である。
みんなちがって みんないい (『私と小鳥と鈴と』金子みすず)
http://C55289049/E20060619225126/index.html